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焼きかまぼこ

 大阪のかまぼこを代表するものは「焼きかまぼこ」です。
「焼通しかまぼこ」とも呼ばれ、蒸さずにあぶり焼くだけで加熱した板付きのかまぼこで、板面から加熱するので板に焦げ目が付き、濃厚なうまみがあります。
 関東のかまぼこの形状が山高で厚いのに比べ、大阪のかまぼこの形状が山の低い扁平な形状をしているのは、大阪のかまぼこが焼いて仕上げるため関東のかまぼこのように長時間蒸しあげる必要が無いからです。
 また、関東のかまぼこが非常に強い弾力性のある「あし」が特徴となっているのと比べて、大阪のかまぼこは、「あし」よりも「あじ」を重要視するため、甘味や旨味が強いのが特徴です。
 『摂戦実録大全』(1572年)に「豊臣秀頼公ご帰城の時、板付蒲鉾を食す」とありますから、遅くとも桃山時代には板付蒲鉾があったはずです。
 江戸末期になると蒸し蒲鉾があらわれました。『守貞漫考』(1837年)に「京坂には蒸したるままをしらいた(白板)」と言う。多くは蒸してのち焼いて売る。江戸にては焼いて売ること無く、皆蒸したるのみ」とあり、江戸は蒸し蒲鉾だけになりましたが、大阪では両方が存在していたことがわかります。
 焼きかまぼこが大阪で残った理由は生産地である大阪から大消費地の京都へ売りに行くのに、日持ちのする「焼く法」を選んだのでしょう。また、同時に魚のくさ味を消すためでもあったといわれています。

白天ときくらげ

 昔から天神祭の頃の梅雨の雨を吸った鱧は、水鱧と言って珍重されてきました。おまけに、うなぎや鱧は水あげした後も長く生きているため精が強いとされ、昔から夏を乗り切るために欠かせない食べ物でした。ただ、高価な鱧の湯引きを毎日食べることもできず、また、船場の丁稚どん達にも精力の裾分けを考えてやらねばなりません。そこで 鱧のすり身の入った白天が重宝されるようになったわけです。
 約五百年程前から使われている鱧のすり身、これを油で揚げるととてもうまいが腰が弱い。そこで他の白身を混ぜ、そしてさらに、味に深味を増すため、大阪では昆布出汁(こぶだし)を使用し、出汁を取った後の昆布を刻み込んで入れていまいた。しかし、うま味調味料が大阪でも巾をきかすようになると、この大阪方式はだんだんすたれ、昆布を入れるにも入れる昆布も無くなってきました。しかし、昔から、白と黒の色調が親しまれていたため、真っ白では頼りない。そこできくらげを代わりに入れるようになったといわれています。

いたわさとぜんざい

 明治の中頃、ご婦人や使用人階級の街の休憩所は『ぜんざい屋』が多かったそうな。 どこの町に行っても『ぜんざい屋』があるほど一時は流行、競争も激しくなって美しい娘はんを看板にした。皆さん、おなじみの法善寺の『めおと善哉』はよくご存知。    船場、新町、曽根崎新地などでは、やはり常得意さんは甘いもの好きの芸者、この甘いもの『ぜんざい屋』が辛いものも売った。曽根崎新地にあった店がそれで、時にはこれらの芸妓はんがお客さんを連れ込むことがある。
 お客さんは、ぜんざいではおもしろくないといって酒を注文するので、いつの間にか燗徳利をおくようになり、酒の肴に何が良いかと思案して、『ぞうに』に使う『かまぼこ』(大正から昭和にかけて、かまぼこのことを「板」と呼んだ)にわさびをつけて出した。これが『板わさ』の元祖であろう。

「続・浪花夜ばなし」篠崎昌美 著 朝日新聞社 より